@ 素子

初期の電卓では、演算とメモリーにトランジスタ以外の素子も使用された。


演算素子
真空管Anita MK8 (Bell Punch)(1962)
パラメトロンアレフゼロ101(大井電気)(1964)
トランジスタゲルマニウム CS-10A (Sharp : Hayakawa electric)(1964)
キヤノーラ130(キヤノン)(1964)
MD-5(ソニー)(1964)
シリコンCS-20A(シャープ)(1964)
ICバイポーラ CS-31A(シャープ)(1966)
MD-5号 (ソニー)(1964)
MOS-IC CS-16A(シャープ)(1967)
BC-1401(東芝)(1968)
152型(カシオ)(1968)
MOS-LSIQT-8D(シャープ)(1969)
ワンチップLSI LE-120A(ビジコン)(1971)
カシオミニ(カシオ)(1972)
CMOS-LSIEL-801(シャープ)(1972)
MPU141-PF(ビジコン)(1972)

メモリー素子
磁歪遅延線
(ディレイライン)
MD-5(ソニー)(1964)
磁気コア 161(ビジコン)(1966)
AL-1000(カシオ)(1967)

真空管

Anita MK8 (Bell Punch)

 1962年に英国の Bell Punch社が発売した世界で最初の電卓。
 同社は1956年から電卓の開発に取組み、1961年ロンドンで開催されたビジネスショーにおいて、Anita MK Z、MK 8を発表し、1962年に入ってから受注を開始した。(MK Z、MK 8は、販売先ごとに分けられたもので、ドイツ、オランダ、ベルギーなど大陸向けがMk Z、その他の地域がMk 8として販売された)。

 この電卓は機械式計算機の歯車を真空管に置き換えたもので、キーボードは各桁について1から9のボタンの付いたフルキーボード方式を採用していた(フルキーボード方式は次のMK9まで用いられた)。
 



パラメトロン

パラメトロンは東大の高橋秀俊教授の研究室で学んでいた後藤英一教授が1954年に開発した素子で、多くの電力を必要としたものの、トランジスターより正確で製品寿命が長いといった特徴があった。電気通信研究所の開発した電子計算機「MUSASINO 1号」にも使用された。

Photo

アレフゼロ 101 (1号機)(大井電気)

1963年に試作されたわが国最初の電卓。
演算素子にはトランジスタではなくパラメトロンを約1700個用いていた。
またこの電卓はテンキー操作を採用し、四則演算、一定数乗除算、累積、自乗、開平、組合演算などが簡単な操作でできた。
特に、従来手間のかかった開平演算は、ワンタッチで計算できる特徴を持っていた。
また浮動小数点を採用しているので、小数点の位取りは自動的にできた。
神奈川県発明協会展覧会に出品され、横浜市長賞を受賞した。
3号機まで販売されたが1号機の現存は確認されていない。






ゲルマニウム トランジスタ

最初のトランジスタ電卓はゲルマニウムトランジスタを演算装置に使用していた。
熱に弱く、故障が起こりやすい欠点があった。

CS-10A (シャープ : 当時は早川電機)

 1964年3月に発表され、7月に発売された世界で最初に販売されたオールトランジスタ電卓。
当時主流のゲルマニウム素子を演算回路に用い、トランジスタ 530本、ダイオード2300本使用していた。
重量は25kgもあり、価格は535,000円と当時の乗用車と同じくらい高価でありながら計算機は四則 演算のみしかできないしろものであった。
Anita 8と同様フルキータイプを採用していた。






Canola 130 (キヤノン)

キャノーラ 130 は1964年5月東京晴海で開かれた第28回東京ビジネスショウで発表され、10月20日に発売された日本で最初の電卓の一つ。テンキー方式を採用した最初の電卓でもある。
トランジスター600個、ダイオード1600個を使用し、演算桁は1兆まで計算できるよう13桁に設定されていた。
発売当時の価格は 395,000円(北海道価格415,000円)で4か月月前に発売されたCS-10Aより140,000円安かった(1965年10月には360,000円に値下げされた)。

Canola 130には以下のような特徴があった。
@誰にでも操作できるテンキー式を採用、
Aニキシー管に代えて新しいディスプレイ装置である光点式表示を採用、
B事務机にのる大きさとした。
当時としては非常に先進的なマシンであった。






MD-5号 (ソニー)

1964年3月に発表された試作機。
ハイブリッド集積回路(IC)を使用し、メモリーに磁歪遅延線を使用するなど当時としては最先端の技術を搭載していた。
とくに、
(1)10桁(答えは20桁)の四則演算が極めて迅速にできる。
(2)答えはネオン管で表示され、非常に見やすい。
(3)演算は全く無音。
(4)形状は英文タイプライターくらいの大きさで、軽く、持ち運びが容易にできる。
(5)演算キーがわずか5個で、代数式の順序で演算ができる。
といった、今日の電卓の機能からみれば当たり前のことではあるが、当時としては驚くべき機能を有していた。






シリコン トランジスタ

ゲルマニウムトランジスタは、演算速度が遅いこと、また温度に弱いため信頼性の保持が難しかった。
これに対しシリコントランジスタは、演算速度が速く、温度に対する安定性も高かった。

Photo Courtesy ; The Old Calculator Web Museum

Compet 20 (CS-20A) (シャープ)

1965年9月に発売されたシャープ最初のテンキー式電卓。
CS-10A はゲルマニウムトランジスタを使用していたが、演算速度が遅いこと、また温度に弱いため信頼性の保持が難しかった。
CS-20A はこうした欠点を克服するため当時としては新しかったシリコントランジスタを用いた。この結果、演算速度が速く、温度に対する安定性が増した。
部品点数もCS-10A の半分になり、値段も379,000円になった。
1965年Gマーク商品。

演算機能は最大14桁。加減乗除、連乗連除、積和、積差、混合計算、定数計算さらに開平、開立も可能。
使用トランジスタ 630本。
使用ダイオード 1980本。
重さ 16kg

他に、2重打防止装置、小数点は自動位取り、(+)(-)符号は自動表示、3桁の0が一度で置換できるスリーゼロキー、オーバーフローエラーを自動検出することができた。







バイポーラ IC

 バイポーラICは、スイッチングスピードが早いことからコンピュータの中央演算装置などに多く用いられたが、消費電力が比較的大きいという欠点があった。

Compet 31 (CS-31A) (シャープ)

1966年10月発表、1967年2月に発売された。
実用機として世界で初めてバイポーラICを搭載した計算機。
記憶装置にIC28個使用。そのほかトランジスタ553本、ダイオード1549本使用。
消費電力は CS-20A が35W だったのに対し、25Wにまで低下した。
価格は350,000円。






MOS IC

MOSは、バイポーラ比べ製法上集積度を高めることが簡単で、かつ大量生産しやすいことからコストダウンのメリットが大きかった。
電卓を小型軽量化するためにはどうしてもMOS化が必要とされた。

Compet 16 (CS-16A) (シャープ)

 1967年12月に発売されたMOS型ICを使った世界初のオールIC電卓。
また、蛍光表示管を搭載した最初の電卓。

 ICにはバイポーラICとMOS・ICがあるが、当時主流を成していたのは大型コンピュータに使われていたバイポーラICであった。MOS・ICは、当時開発されてまもない新しい技術で不安定な要素があり演算スピードもバイポーラICに劣ったが、大規模集積化に適し、しかも消費電力が小さいという魅力があった。
 CS-16Aは世界で最初にMOS型ICが使われた。CS-16Aは、MOS型ICを使うことで3494個必要とされた回路部品をわずか56個のMOS型ICに置き換えることに成功した(60分の1)。この結果、部品点数のみならず容積を抑えるとともに、価格は23万円まで低下させることに成功した。

 2005年にCS-10A、QT-8D及びEL-805とともに世界的な電気・電子学会であるIEEEより、権威ある「IEEE マイルストーン」に認定された電卓の発達史上最も重要な電卓の一つである。

294(W)×117(H)×317(D)mm。4.0kg。
230,000円。





BC-1401 (東芝)

1968年12月1日に発売された東芝最初のMOS-IC 搭載電卓。
ICの中でも集積度の高いモスICを全面採用することで、トランジスタ、ダイオード、コンデンサーなどの回路部品を一挙に200分の1にした。
部品数の大幅減少で内部構造がスッキリし故障しにくくなった。
数字とキーが同一平面で見ることができるため非常に読み取りやすくなった。
当時の価格は190,000円。







MOS LSI

MOS ICをさらに高密度化したもの。

QT-8D (シャープ)

1969年発売されたMOS-LSI搭載電卓。
世界で最初にMOS-LSIを演算部分に搭載した電卓。

ノースアメリカン・ロックウェル社製のMOS LSIを搭載している。

2005年12月、CS-10A、CS-16A 及びEL-805とともに世界的な電気・電子学会であるIEEEより、権威ある「IEEE マイルストーン」に認定された。

LSI4個、IC2個使用。
幅135(W)×247(D)×72(H)mm。1.4kg。






ICC-141 (三洋)

1968年4月に発売された三洋電機最初の14桁電卓。
世界で最初に記憶部にLSIを搭載した。

同時に12桁のICC-121型、16桁のICC-161型も発売された。
これらのシリーズは、電源、表示部を除く、演算、制御、記憶の各装置に全てバイポーラICが用いられており、重量はトランジスタを使った製品に比べ1/2 に軽量化されている。
また、141型は米国フィルコ・フォード社製のLSI (デュアル50ビット)3個を記憶装置(メモリー)に使用している。(161型も、同じくフィルコ・フォード社製のLSI (デュアル64ビット)を3個搭載しているが、121型はLSIを使用していない。)
さらに、電卓の表示部門には同社で開発したモザイク式表示管を使用した。モザイク式表示管は放電管に比べ見やすく、かつ寿命が長く、信頼性も一段高いという利点があった。

価格は121が20万円。141が25万円。161が30万円。
国内では日本事務機が販売を担当した。






1チップ LSI

電卓を小型化しポケット電卓を実現するには1チップLSIを開発する必要があった。
1チップLSIは部品点数の削減などを通し低価格電卓も生み出した。

Busicom LE-120A (ビジコン)

モステック社とビジコン社が共同開発した世界で最初のワンチップ電卓用チップ MK6010 を搭載した世界で最初のポケットサイズ電卓である。
ビジコン社は電卓のポケットサイズ化を実現するためワンチップLSIの開発が不可欠と考え、当時14人のベンチャー企業であるモステック社と共同で研究開発を行った。当時モステック社は小さいながらもイオン注入法という最新技術を採用し大きな成果をあげていた。ビジコン社は、演算ロジック部分の開発を担当し、当時既にヒット商品となっていた「ビジコン120」という計算機のロジックをもとに開発を行った。こうしてできた演算ロジックの回路のワンチップ化をモステック社が担当した。

電源 単三4本。 サイズ 64mm(W)×123mm(D)×22mm(H)。価格 89,800円。






Mini (カシオ)

1972年8月に発売された。
12,800円という低価格で、電卓を個人で使うものとした「大衆電卓」の走りともいうべき電卓。
パーソナルユースをコンセプトに開発されたカシオ・ミニは大ヒットし、出荷台数は発売後約10か月で100万台に達した。
また、海外のSperry Remington Rand 社やUnisonic 社へもOEMで供給された。







CMOS LSI

EL-801 (ELSI MINI) (シャープ)

1972年7月に発売されたシャープ初のワンチップ、ポケッタブル電卓。愛称は「エルシーミニ」。ミニの名のとおり手のひらにすっぽり収まるサイズにまとめられている。
デザインは、全体が丸みをおびており、高級感のあるアルミ仕上げがされるなど秀逸でGマーク商品にも選定された。
また、東芝が開発した消費電力が従来のLSIに比べ約百分の一のC・MOS(相補性金属酸化膜半導体)LSIを初めて搭載しており、乾電池4本で15時間使用することができるなど性能面でも非常に優れた電卓であった。
サイズ 79(W)×143(D)×19(H)mm。127g。
単三電池4本使用。価格は39,000円。







MPU

141-PF (ビジコン)

 141-PFは1972年発売された、世界で最初のマイクロプロセッサIntel 4004を搭載した電卓である。
 当時いくつもの企業へ電卓のOEM製造を行っていたビジコン社は、OEMの相手先ごとに様々な電卓とそれに用いるICチップを作り変える必要があった。しかしこれにはたいへんな人手と時間を要し、ICチップメーカーも製造を引き受けたがらなかった。このためビジコン社は電卓の機能の変更について、ICチップの設計変更などハード面の対応ではなく、プログラムの変更というソフト面の変更で対応する方式をとることを考えた(これがいわゆる「ストアード・プログラミング方式」である)。このため同社は、当時新興のインテル社とこうした電卓を実現するために必要なLSI の設計製造契約を結び、同社が設計した論理回路をもたせ3名の社員をインテル社に派遣した。このチップの開発過程で世界で最初のマイクロ・プロセッサ4004は完成した。すなわち世界で最初のマイクロプロセッサは、米国インテル社とわが国のビジコン社の協同開発により完成したといっていいだろう。この4004を世界で初めて搭載した電卓が141-PFである。1971年10月に発売され、当時の価格は159,800円であった。この電卓は、マイクロ・プロセッサを搭載しているため、ROMによるプログラムを追加するだけで新しい機能を追加することができた。また、電卓用としては比較的大容量のRAMが使用可能だったため、最高8ストロークのキーボード用入力バッファが設けられており、印字中でもキー入力ができるという当時としては先進的な機能も有していた。同機は米国NCR社にCLASS 18-36という名前でOEM輸出もされた。
歴史的に最も貴重な電卓の1つである。