タイガー計算機
| タイガー計算機は、1923年大本寅治郎により発明された。その計算機は彼の名をとって「虎印計算機」を命名された。虎印計算機の原理は当時のオドナー式計算機の原理と基本的に同じものであるが、大本本人がこの計算機の情報を得ていたかどうかはわからない。発売当初は2階建ての家が買えるほど高価なものであった。虎印計算機の完成後しばらくして虎印は「TIGER BRAND」に、大本鉄工所はタイガー計算機製作所と改称された。タイガー計算機は、価格の低下とともに出荷数が順調に増加し68年頃のピーク時で年間4万台に達した。当時はライバルメーカーも多くあったが、タイガー計算機の知名度は抜群で他メーカーのものもみなタイガー計算機と呼ばれていた。 |
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 | 特装型18号
1954年製。右ダイヤル桁数18桁。
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 | H68-21
1968年以降作られたタイガー計算機の最終型。
右ダイヤル桁数21桁。連乗機能を持っているタイプ。
カバーや置数レバーはプラスチック製となっている。
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 | H68-S
H68-21と同じく1968年以降に製造されたもの。
H68-21と異なり連乗機能はついていない。
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電卓は子供の算数教育にどう寄与するか?
西 志郎
私は、物心付くや否や、自他共に認める理系であったが、物事の理解には時間のかかる方だった。 どう関連するのか、算数の計算問題もいつも時間が足りず、それが後に数学の苦手意識の元になったように思う。
小学生の時分、学校の夏休みに鹿児島の母の実家に帰省すると、道路一本隔てた本家が焼酎の造り酒屋を営んでおり、田舎の工場とて、さほど危ないものがある訳でもないので、子供には格好の遊び場だった。 事務所で帳簿をつけていた青年に、「志郎ちゃん、宿題は済んだね?」 と訊かれ、単調な計算問題が大分残っていることをこぼした。 すると、脇の黒い機械を指し示し、「こん機械で計算すれば、一気(直ぐ)じゃっど。」 と言いながら、例題をやって見せてくれた。 そうか、世の中にはこんな便利なものがあるのか。 シメタ、とばかりに機械の操作を覚えてしまい、宿題帳を持ち込むと、一気呵成に仕上げてしまったものだ。 (日記帳によれば、それは小学校 5年のときのこと。 骨董機械の動態保存を趣味にする今、機械は正しく 「タイガー計算機」 であったと言える。)
どうやら、そのことは母に露見したらしい。 (「先生に言うてやろ。」 と子供をからかっていた青年のこと、面白半分に話したのに違いない。) 叱られた記憶はないけれど、母は父に言いつけた。 大学で教鞭をとっていた父曰く、「計算なんてものは、いずれ全て機械がやるようになるから、それで差し支えない。」。 母は、随分、拍子抜けしたのだそうな。
電卓が一気に家庭へ普及したのは 1970年代のこと。 恐らく、どこの家でも宿題を電卓でやって良いものかどうか、同じ議論が繰り返されたに違いない。 それで、電卓の出現は子供の計算能力にどう影響したのだろう? 弊害だけでなく、寄与することは何かないのだろうか?
弊害だけを言うのは、算数教育の仕組みが世の中の進歩に追いついていないだけのこと。 電卓の強力なパワーの有難味が実感できるような、電卓がなければ確かめてみようという気力も起きないような、面倒な課題を与えれば良いのだ。 では、その問題とは? 言うは易く行なうは難し。
(初出 Jul. 3, 2008)
(西氏からご寄稿いただきました。 2008.7.17. ) |
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日本計算機
日本計算機は機械式計算機の市場でタイガー計算機と並んで大きなシェアを持っていた企業である。
同社は事務用機器などを製造販売していた「昌和洋行」の子会社として昭和17年に設立された。設立当初より計算機の研究・試作に取り組み、昭和19年に計算機の国産化に成功した。その後、同社は様々な機種の開発を行い、昭和31年には手動式計算機の決定版ともいえるSM-21 開発し、飛躍的な売り上げを実現した。また、昭和39年にはSM-21型を改良したHL-21 型を生産、販売した。
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HL-21
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 | SM-21
1956年に発表、販売された。
357(W)×130(H)×170(D)mm。
7.4kg。
当時の価格は35,000円。
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PILOT計算機
PILOT計算機は、1961年キーバー計算機をPILOTが買収してできたものでP−1、P-3型が製造販売された。これらの計算機は当時の国産計算機の中で最も小型であったことからしばしば自動車に積み込まれラリー競技に使われた。 |
 | P-3型
1967年に発売された。当時の価格は28,000円。
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1967年3月6日日本経済新聞の広告。 |
ラリー競技に使われたもの。
夜間車内で使用するため、防眩の為黒く塗られていた。
上部に「TEAM FALCO」というネームテープが貼ってある。
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東芝計算機
かって「ブルースター計算機」を製造した東京電気(株)をルーツに持つ企業。 |
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出典) 工房遊次 |
東芝 20-TC
ブルースター の面影を強く残した計算機。
桁数:置数10桁×左ダイヤル11桁×右ダイヤル20桁。
寸法: 347(W)×234(H)×152(D) o 。
重量: 7.9 kg。
製造年は1960年代の終わりから70年代の初め頃と推測。
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Brunsviga
機械式計算機の代表的なメーカー。
1874年ロシアのオドネルは十進装置、置数装置、文字繰装置をドラムを用いた今の機械式計算機の原型を作ることに成功したが、ドイツのブルンスビガ社は1892年にオドネルよりこれらの特許を買取り、大量の機械式計算機を市場に送り出した。 |
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 | Midget
この Midget は、ドイツではModel M という名前で1908年から1927年にかけて販売されたものであり、米国ではMidget という名前で革張りのケースに入れ販売された。当博物館の Midget は米国コネチカット州のディーラーから購入したものである。
ところで、タイガー計算機の創始者である大本寅治郎は、1923年に機械式計算機を完成させ「虎印計算器」として販売を開始するが、その最初の機種のデザインはこのMidget と酷似しており、計算機の開発に際しこのMidgetが参考にされたと推測される。
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出典) 工房遊次 | 13R
Brunsviga社で最も生産台数が多かった 13RK の先行機種とみられる。
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Walther
| ドイツの拳銃メーカー。機械式計算機も製造販売した。 |
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 | WSR 160
落ち着いたボディーカラー、滑らかな曲線美、レバーを右側に集中するなど計算し尽くされた機能性が特徴。
色は、このパピアグレイのほか青みがかったグレイとグリーンの3色がある。
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Facit
FACIT はスエーデンのメーカー。
創生期にはオドナーの特許を購入し製造したとされているが、すぐに「オドナー形式」を改良し、独特の「10キー データセット」方式を開発した。この方式は構造上密閉が可能で、静粛性に優れていたことから市場に受け入れられた。また、電動式計算機も多数製造した。 |
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出典) 工房遊次 | CM2-16
外装が金属製(アルミ系ダイカスト)の強固な計算機。
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Contina
クルタ計算機はユダヤ系オーストリア人のクルト・ヘルツシュタルク(Curt Herzstark)が発明した世界で最も小さい機械式計算機である。
彼はユダヤ系ということでナチスにより収容所に送られたが、収容所においてこの計算機のアイデアを完成させた。
戦後,リヒテンシュタインの皇太子がこの設計に興味を持ち,コンティナという国営企業を設立し、「クルタ計算機」という名前で全世界に製造販売した。
クルタ計算機は最初の型(CURTA)とその後継機(CURTAU)が発売されたが、そのメカニズムは基本的に同じで、両者とも11桁の計算が可能である。
インターネットで調べると、CURTAは1947年から1970年にかけ約8万台、CURTAUは1954年から1970年にかけ約7万台が製造販売されたとのことである。
非常に独創的なメカニズムを持った機械式計算器で、電卓が市場を席巻した今でも愛用者が世界中に多数存在するすばらしい計算機である。 |
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 | CURTA
1947年から1970年にかけ製造販売されたもので、約8万台が出荷されたとされる。当博物館の所蔵品のシリアルNoは、56101であり、これは1963年9月頃出荷されたものであるとのことである。非常にきれいな状態であるが、残念なことにクリアレバーが折れている。
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Photo courtesy : Ms.Misa Kotoya | CURTA U
1954年から1970年にかけ製造販売されたもので、約7万台が出荷されたとされる。メカニズムは基本的にCURTAと同じで11桁まで計算できた。
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パンフレットの写真 | モンロー電動計算機 (Monroe)
電動計算機は手動式計算機にモーターを付け、計算作業を簡略化したもの。
電動計算機が代表的なものとしては米国モンロー社の電動計算機がある。
日本では丸善が総代理店になり輸入された。
| Model | 価格 | 機能 |
| LA-5-200 | \252,000 | 自動除算装置 |
| LA-6-200 | \308,000 | 自動乗・除算装置 |
| CS-10 | \252,000 | 自動除算装置 |
| CST-10 | \280,000 | 自動除算装置 |
| CSA-10 | \356,000 | 自動乗・除算装置 |
| CAA-10 | \420,000 | 全自動装置 |
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モンロー電動計算機のパンフレット
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 | STW-10型
標準型 全自動式電気計算器
全自動式電気計算機
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 | SRW型
全自動式電気計算器
平方根展開機能が付いた。
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 | ACG型
全自動式電気計算器
キヤリージ内の任意の箇所で自動的に四捨五入を行うことができる。
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 | SW-10型
自動式電気計算器
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 | DW-10型
準自動式電気計算器
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Photo courtesy : Mr.Toshifumi Yamamoto | Tetractys 24 (Olivetti)
1956年頃発売されたイタリアオリベティ社の電動計算機。
一風変わったデザインをしているが、これと同型の Divisumma 24 はMOMAの永久所蔵品に選定されている。
外見とは異なり内部は非常に複雑な構造となっている。
デザイナーは Marcello Nizzoli。イタリア製。
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Ricomac 211 |
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「黄金分割」 と 「フィボナッチ級数」
西 志郎
「黄金分割」 という言葉、どこかで耳にしたことがおありだろう。
最も美しく見える比率とされ、縦横がこの比率の紙から正方形を切り出すと、残りの紙片が最初の紙と同じ比率を保っている。 これだけの命題から計算で求めることができるけれど、もったいぶらずに答をお教えすると、1.618033989 ・・・。 大雑把には 1.618 と記憶すれば、実用上十分。 (電卓で 1 ÷ 0.618 = を確かめておいていただきたい。)
話題は変わる。 大きな白紙を用意し、真ん中辺りに、縦横 1 cm の正方形を描いていただきたい。 次に、左に隣接して正方形を描く。 次に、上に隣接して正方形を積む。 (一辺 2 cm となる。) 次は右横に隣接 (3 cm)、次は下に隣接 (5 cm)、次は左に隣接 (8 cm) ・・・ と、次々に螺旋を右回りに正方形を描き続けることができる。 辺の長さは、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55 ・・・ と、無限に続く。 第 3項以降の各項は前に並ぶ二項の和になっているという単純極まりない級数だが、発見者の名を冠して 「フィボナッチ級数」 と呼ばれる。
フィボナッチは、「零」 を含むインド式の数の表記法をヨーロッパに紹介したイタリアの数学者。 又の名を 「ピサのレオナルド」。 (「フィボナッチ」 は、「ボナッチオの息子」 の意。) 前述の級数は 1202年の発見。 それがどうした、と言いたいような数字の羅列に、発見とはまた仰々しい。 そうおっしゃる前に、隣り合う 二項の比率を確かめていただこうか。
21 ÷ 13 = 1.6154 ・・・、 34 ÷ 21 = 1.6190 ・・・、
55 ÷ 34 = 1.6176 ・・・
ご明察の通り、単純極まりない級数が、「黄金分割」 に収束するのだ。 (第 24 項) 75,025 ÷ 46,368 = 1.618033989 ・・・! 私は実際に計算してみた。 家庭の電卓が、家計簿をつけるためだけではなく、想像力とか好奇心を触発する分野でも役に立つものであることを示すために ・・・。 感動が面倒を上回る。 そう思いませんか?
(初出 Jul. 3, 2008)
(西氏からご寄稿いただきました。 2008.7.17. ) |
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