OMRON desktop calculator

 トランジスターからIC(集積回路)へ、時代は急速に進化していた。

そのIC自体の進歩も激しく、これに対応しないと技術的に取り残されてしまうことから、立石一真は、最先端のIC技術を取得するためにも、卓上電子計算機(電卓)の開発を指令した。当時電卓業界は21社が乱立していたが同社は21番目に参入した最後発の企業であり、安い価格を武器に市場を確保する必要があった。

19676月社内の電子制御研究開発部計算器研究室で研究開発に着手した。同年9月試作第1号機 OMRAC 777 が完成した。

その後商品化を目指しプロジェクトチームが作られ極秘で作業が進められた。開発は社内にも極秘にされ、開発略号「ICBOX」とした。極秘指令を知る社員の間では「ブラック・ボックス」と呼ばれていた。試作工場として閉鎖休業中の旧洛陽製作所が再開された。中央研究所の電卓開発メンバーに、生産技術部などの30人、直方立石電機から男女15人ずつの合計60人で試作生産に入った。工場の窓はすべて黒い布で覆われ、異様な光景がそこにはあった。60人の社員には厳重な緘口令が敷かれ、他の部門から洛陽製作所に出入りする社員も制限された。

こうして、19693月最初の電卓として、世界最小の電卓CALCULET-1200が完成、発表された。 CALCULET 1200は、外形寸法が182(W)×257(D)×66(H)mmの週刊誌大。重量約2kg。当時市販されていた電卓と比較して体積で3分の1、重量で2分の1、性能は最高級機に匹敵し、価格は165,000円であった。

19701月普及型電卓 OMRON 1200 が発売された。OMRON 1200 の価格は118,000円で当時の12桁電卓が15万〜18万円だったのに対し実に27パーセントから52パーセント強の価格ダウンで業界に一石を投じた。

その後も、後発メーカーとして、常に「他社に追いつけ、追い越せ」を合言葉に必死の開発が行われ、19715月には8桁電卓で価格が5万円を切る(49800円)オムロン800が開発された。これはその価格の安さで業界にショックを与え、マスコミも大きく取り上げた。

 

その後、電卓業界の販売合戦はさらに熾烈になり、品質・価格だけでなく品数でも競う形となった。1973年頃には生産台数は月産40万台を超え、種類も100種を超えるようになった。海外への輸出も貿易摩擦などで厳しい状況にあったことから、メキシコやシンガポールなどに工場を設立し現地生産を行った。

 

オムロン800が開発できた背景には、前年の9月に立石電機として初めての海外における100%出資の研究会社オムロンR&D(ORD)の設立があった。

ORDはシリコンバレーに設立され、米国で宇宙産業が縮小される中、多くの優秀な技術者を採用し研究に当たった。

 

1973年の石油危機を境に、電卓の販売にも陰りが見えるなか、シャープの電卓は、1973年に1万円を切り、キヤノンも8桁で8000円台の電卓を発売した。そのため、立石電機は1975年度15億円の赤字を計上し、電卓からの撤退を余儀なくされた。

 

日本経済新聞 1970.5.23.

<カタログ>

CALCULET 1200

19693月に発表されたオムロン(当時 立石電機)最初の電卓。
外形寸法182(W)×257(D)×66(H)mm(週刊誌大)、重量約2kgと当時市販されていた電卓と比較して体積で3分の1、重量で2分の1という非常にコンパクトな電卓だった。
価格165,000円。



Photo courtesy : Mr.T.Yoshida

Omron1200

1970年に発売された。
当時の価格は 118,000円。




→電子科学1970年7月号記事



日本経済新聞 1969.8.12.

CALCULET 1200 について

オムロンの最初の電卓は19693月に発表された CALCULET 1200 といわれている。しかし、CALCULET 1200が実際に発売されたか否かは不明である。

当時の新聞をみるとオムロンの電卓の広告が初めて新聞に載ったのは1969812日付け日本経済新聞であり、そこにはCALCULET 1200ではなく OMRON 1210 が載っている。

そこで両者の関係が問題になるのだが、この広告の写真をよく見ると本体には"OMRON 1210"ではなく"CALCULET 1210"の文字がみられる。この広告では「ポータブルタイプの新鋭機」として9月に発売となっている。こうしたことから3月に発表した後何らかの理由で9月に発売するまでにブランド名を"CALCULET 1200"から"OMRON 1210"に変えたと推測される。名前の変更が急だったため新聞広告の写真は"CALCULET"のロゴが付いたものをそのまま使ったのではなかろうか。

CALCULET 1200
は、1200という数字からするとメモリーなしタイプのようにみえるが、価格が165,000円だったことからするとメモリー付と考えられる。

実際、メモリー付の OMRON 1210 19699月に 165,000円で発売されるがメモリーなしタイプのOMRON 1200
は翌年1月まで発売されなかった(発売価格は118,000円)。このため最初の機種はメモリー付であったと考えるほうが自然である。

こうしたことから、CALCULET 1200 CALCULET 1210 OMRON 1210 及び Answer 1210 は同じものであった考えられる。最初の電卓ということでネーミングに混乱があったのだろう(こうしたネーミングの混乱は日立でも見られた)。

なお、広告の下にあるよう、OMRON 1210 の販売は、日本ビジネス・マシーンズ株式会社、中央ビジネス・センター株式会社、日本アンサー計算機株式会社からなるJBM グループが担っていた。


Answer 1210 (ジェービーエム)

OMRON 1210 のジェービーエム株式会社向けOEM
当時オムロンの電卓の販売は、日本ビジネス・マシーンズ株式会社、中央ビジネス・センター株式会社、日本アンサー計算機株式会社からなる JBMグループが担っていた。このためOMRONブランドと合わせAnswer ブランドで電卓が販売された。

 

 

 

 

 

 

 

電子機器の部品

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Electronics
誌(19721月の広告)

NORTEC
社の MOS/LSI チップが$400
電卓を$200以下で売ることを可能にしたと
書いてある。

OMRON 800

 OMRON 800はビジコン120Aと同じ19716月に発売されたワンチップ電卓。

主要素子であるLSIは立石電機の100%出資の研究会社オムロンR&D社で開発されたもので、製造はプエルトリコなど労賃の安いところで生産されたこと、海外向けに大量の商談をまとめることに成功したこと(8桁電卓だけで1ヶ月間に30万台)などによりLSIのコストを110ドル(オムロン8003個使用)と大幅に引き下げることに成功した。

ビジコン120A89,800円と高価だったのに対し、OMRON 80049,800円と当時としては驚異的な安さを実現したとから世間では「オムロンショック」と呼ばれ話題となった。

入力、演算、記憶、表示を全て、たった一個のLSIに集積するチップ登場により、電卓製造は極めて容易になり、様々な企業が電卓市場に参入した。このためOMRON 800を契機として電卓の価格は急激な低下を続け、翌年にはカシオミニが12,800円で発売される。

オムロン 800 は、電卓用ワンチップLSIの登場で始まる電卓の低価格競争のきっかけとなった歴史的な電卓である。



8桁電卓の価格競争

発表

会社

機種

価格

19716

立石電機

オムロン800

49,800

シチズン事務機

シチズンエイト
(オムロン800

49,800

9

カシオ計算機

カシオ AS-8

38,700

シルバービジネス

シルバーリード SE-60
(
カシオ AS-8)

38,700

11

コクヨ

コクヨ電子ソロバン KC-80A
(シャープOEM)

36,900

三洋電機

サコム80

39,500

シチズン事務機

シチズンエイトD

45,800

12

東芝

トスカル0802

38,500

ビジコン

ビジコン 80-DA

33,700

立石電機

オムロン800D

44,800


OMRON 800-2

左の白い電卓は同じくOMRON 800であるが、タイプは800-2 となっている。スイッチキーの位置などは800よりむしろ800Kに近くなっている。内部をみると、オムロン社製のチップが3つみえ、また東芝製のチップもみえる。

Omron 800D


 


(伊勢電子の蛍光管)


Photo courtesy : Mr.Toshiro Hata

OMRON 800K

1972年発売。
29,800
円。





OMRON 800KD (1972 \37,800)
コードレスタイプ


 


Photo courtesy : Mr.T.Yoshida

C108 (Commodore)

Omron 800Commodore 社へのOEMバージョン。
Omron 800
は、高品質、高性能、かつ低価格を武器に海外へ積極的に販売された。コモドア社との間で年間12万台の輸出契約が結ばれ積極的に輸出された。
米国にでは初めて200ドルを破る199ドル95セント(約72,000円)という価格設定でセンセーションを巻き起こした(日本国内では49,800円)。


Photo courtesy : Mr.T.Yoshida

CITIZEN Eight (Citizen)

1971年に発売された OMRON 800 のシチズン社へのOEMバージョン。
49,800
円。

CITIZEN Eight (1971 \49,800)




CITIZEN Eight PERSONAL (1972 \29,800)
低価格タイプ




CITIZEN Eight DELUXE (1972 \37,800)
コードレスタイプ


Photo courtesy : Mr.T.Yoshida

OMRON 1211

1971年に発売された。
当時の価格145,000円。




OMRON 1201

 


Photo courtesy : Mr.T.Yoshida

OMRON 1217P


Eight (Citizen) (OMRON 805)

1973年に発売されたシチズンの8桁デスクトップ電卓。
OMRON 805
のシチズンへのOEMバージョン。
ワンチップLSI使用。数字は左から表示される。
129(W)
×218(D)×50(H)mm480g
19,800
円。

シチズン電卓



 


MC840 (Miida)

Miidaのブランドは、かっての総合商社丸紅飯田のブランド。
丸紅飯田は日本で生産された電卓をMiidaブランドで海外で販売した。
多くの機種はOmron社のOEMとみられる。
MC840
Omron 80 OEM 版。

OMRON 1214


OMRON 1090PS

 


OMRON 1621

OMRON 1622

OMRON 1211P