電卓(電子式卓上計算機)の歴史

[ 東京理科大学生涯学習センター「コンピュータの歴史」講演資料 ]


東京理科大学生涯学習センターでは2005年11月5日から26日にかけ「コンピュータの歴史」と題した全4回のセミナーを開催しました。本稿はその1つとして「電卓(電子式卓上計算機)の歴史」というテーマで11月19日に博物館の館長が行った講演を加筆、訂正たものです。


1 電卓以前

電卓が開発される以前においては、計算は主としてそろばん、計算尺、手動式加算機の他、機械式計算機、電動計算機が使われた。
こうした中で1957年11月、カシオはリレーを使った計算機Casio 14-Aを開発、販売した。リレーとは、継電器のことで電磁石の動作によっていくつかのスイッチの接点を開閉させるものである。
14-Aは、リレーを342個使った「純」国産の計算機であった。 14-Aの14は、14桁計算ができること、Aは最初の計算機という意味である。 14-Aのサイズは78(H)×108(W)×44.5(D)cm。140kg。価格は48万5千円だった。当時、既にテンキー方式を既に採用していた。
1959年5月には自動開平計算機能を装備した後継機 14−B が発売された。理科大の博物館にはこの 14-B が展示されている。
カシオはリレー計算機で計算機の市場をリードした結果、半導体を使った電卓の市場への参入に出遅れることとなる。

2 世界で最初の電卓

 世界で最初の電卓は、英国の Bell Punch社が発売した Anita Mk 8といわれている。
 同社は1956年から電卓の開発に取組み、1961年ロンドンで開催されたビジネスショーにおいて、Anita Mk Z、Mk 8を発表し、1962年に入ってから実際の受注を開始した(Mk Z、Mk 8は、販売先ごとに分けられたもので、ドイツ、オランダ、ベルギーなど大陸向けがMk Z、その他の地域がMk 8として販売された) 。

 この電卓は機械式計算機の歯車を真空管に置き換えたもので、図体は極めて大きく、重量も14キロもあり、なおかつ非常に高価だった。しかし、電子式のため機械式のような騒音が出ることなく、かつ計算速度が速いことから大きな反響を呼び、その後の電卓開発のきっかけとなった。
ちなみにAnita は、"A New Inspiration To Arithmetic"または、"A New Inspiration To Accounting"の略である。
大きさ 376(W)×450(D)×255(H)mm。
重量  13.9kg。
当時の価格 約 $1,000

 また米国では1964年、Friden EC-130が発表された。これはディスプレイにCRTを使用したものであるが、真空管を使っていない世界で最初の電卓の1つといえる。

3 日本のメーカーの取り組み

Anitaに刺激され、日本のメーカーも本格的に電卓の開発にとりかかり、1964年に各社がいっせいに電卓を発表する。3月にはシャープとソニーが最初の電卓をCS-10AとSobaxを発表し、5月には大井電気とキャノンが晴海で開かれた第28回のビジネスショウに最初の電卓 Aleph-zero と Canola 130 を発表した。これらは、Anitaとは違い計算回路にトランジスタやダイオード、パラメトロンという素子を使った世界で最初の電卓であった。

 CS-10Aは、シャープ(当時は早川電機)が1964年3月に発表したわが国最初の電卓であり、世界で最初のオールトランジスタ型の電卓といわれている。外観はAnita Mk 8と似ており、Anita同様フルキータイプを採用している。発表時期は他社と同様1964年であるが、実際の発売が6月と他社に先行したことからわが国最初の電卓といわれている。当時の価格は53万5000円と車が買えるほど高価なもので、重量も25kgあった(当時車の価格は54万円程度)。
 CS-10Aは、フルキーボードを使用し、重量が重く、価格が高かったことから、シャープは翌年テンキー方式を採用したCS-20Aを発売する。CS-20Aは、重量が16kg、価格が379,000円であった。

 SOBAXは、Sony (当時東京通信工業)が開発した電卓である。同社はIBMの後追いではないユニークなものとして「ポータブルコンピュータ」の開発を目標に1961年から電卓の開発に取り組み、1964年3月、シャープが CS-10Aを発表した日と正に同じ日に試作機「MD-5号」を発表し、その後ニューヨーク世界博にも特別出品した。
 MD-5号は真空管を使わない世界で最初のオールトランジスタ電卓の1つで、幅35センチ、奥行43センチ、高さ22センチ、重量は約10キロだった。MD-5号は技術水準が高いだけではなく、その操作性も優れていたことから好評を博した。
 社内では早く製品化すべきとの声もあったが、片手で持ち運びができるくらいもう少しハンディなものを販売しようということでさらにモデル11まで開発を続け、3年後の1967年6月" SOBAX ICC-500"という名前で販売を開始した。
 ソニーは、モジュールICの採用、磁歪遅延腺の開発、数字表示管の改良などきわめて高い技術を凝縮した高級電卓を中心に電卓の開発を行うが、電卓戦争がドロ沼化する中、技術的にも大して面白みがなくなったということで1973年5月、電卓分野から撤収した。ソニーが電卓市場にとどまった期間は6年にも満たないが、これらの電卓開発過程で生み出された技術が、その後ソニーがパーソナルコンピュータ市場に再参入し、大成功をおさめる上で重要な役割を果たすことになる。
 なお、SOBAX(ソバックス) はSOLID STATE ABACUS (固体回路のそろばん)の略。そろばんのように手軽に使え、しかも複雑な演算をスピーディにこなせる計算機という意味からついた商品名である。

 Canola 130 は、カメラメーカーのキャノンが開発した電卓である。キャノンはカメラレンズを設計する過程で高性能の計算機を必要とし、自ら電卓の開発に取り組んだ。
 同機は、1964年5月東京晴海で開かれた第28回ビジネスショウで発表され、10月から発売された。使用したトランジスターは600個、ダイオードは1600個にのぼり、演算桁は1兆まで計算できるよう13桁に設定されていた。当時の価格は 395,000円で4か月前に発売されたCS-10Aより140,000円も安かった。
 Canola 130には以下のような特徴を持った当時としては非常に先進的なマシンであった。
@テンキー式を採用、
Aニキシー管に代えて新しいディスプレイ装置である光点式表示を採用、
B事務机にのる大きさとした。
同機は理科大の近代科学博物館に所蔵されている。

 アレフゼロ 101 は大井電気が開発した電卓である。
 大井電気は通信、制御機器の専門メーカーである。1949年東洋通信機工業から、当時電力搬送の第一人者であった石田寛をはじめとする技術系の人たちがスピンアウトし、発足したベンチャー企業あり、常に技術的に新しいものへ挑戦していく雰囲気があった。
 同社は1962年の終りから社長以下全力で電卓の開発に取り組み、1963年8月に日本で初めて電卓の試作に成功した。これは直ちにアレフゼロ101として商品化され、大学の研究室などに販売された(場合によってはアレフ・ゼロはわが国で最初に市場化された電卓であるといえるかもしれない)。
 アレフゼロ101は、トランジスタではなくパラメトロンを約1700個用いていた。パラメトロンは東大の高橋秀俊教授により開発された素子であり、多くの電力を必要としたものの、トランジスターより正確で製品寿命が長いといった特徴があった。またテンキー操作を採用し、四則演算、一定数乗除算、累積、自乗、開平、組合演算などが簡単な操作でできた。特に、従来手間のかかった開平演算は、ワンタッチで計算できる特徴を持っていた。また浮動小数点を採用しているので、小数点の位取りは自動的にできた。
 大井電気は1000台のアレフゼロを製造・販売したが、その後1970年電卓販売から撤退した。アレフゼロ101は現在大井電気本社に展示してある。

(アレフゼロ101の仕様)
計算容量   加減算 10桁  乗算 20桁  除算 10桁(剰余10桁)  開平 9桁
消費電力   300W
大きさ    550×520×380mm。
当時の価格   80万円

 一方、14-Aなどリレーによる機械式計算機で市場をリードしていたカシオはあくまで機械式計算機にこだわり1964年5月新型のリレー式計算機Casio 81を発表したが失敗に終わった。これによりカシオも電卓分野への進出を決意し、1965年10月に最初の電卓 Casio 001を発売する。

4 トランジスタからIC,LSIへ

 1964年に開発されたシャープのCS-10Aは、トランジスタを530個、ダイオードを2300個使用しており、重量は25kgと極めて重く、価格も当時の価格で50万円を超える非常に高価なものであった。電卓を小型化し、価格も引き下げるためにはトランジスタに代え当時の最先端の技術であったICやLSIを電卓に搭載する必要があった。

 電卓へのIC活用で他社をリードしたのがシャープである。
 シャープの電卓開発の主導的役割を果たしたのが当時シャープの専務であった佐々木正である。
彼は1964年すなわちシャープが最初の電卓CS-10Aを制作した年に神戸工業から専務としてシャープに入社し、次々と新しい電卓の開発にたずさわった。彼は頭の回転、行動のスピードが非常に速く、世界中を飛び回っていたので「ロケットさん」とも呼ばれた。
 シャープはまずCS-10Aを改良し、1966年テンキータイプの電卓CS-20Aを制作し、また、同年世界初のバイポーラ型ICを使用した電卓CS-31Aを、翌年MOS型ICを使用したCS-16Aの開発に成功する。
 ICには、バイポーラ(bi pola)とMOS(メタル・オキサイド・セミコンダクター)の2つがある。バイポーラは、演算のスピードが速いため兵器や宇宙開発機器用のコンピュータにはもっぱらこれが用いられた。しかしMOSと比べ大きいため、電卓の小型化には向かなかった。

(LSIの活用)
 その後、シャープは計算機をより小さくかつ安くするため目標をMOS型LSI使った電卓の開発に取り組んだ。しかし、当時MOS-LSIを作るには非常に高度な技術を要する上、需要がどれくらいあるのかわからないことから国内ICメーカーはシャープの要請に応じようとはしなかった。
1968年佐々木正は渡米し、フェアチャイルド、テキサスインスツルメント、AMI、ナショナルセミコンダクター、RCA、ウェスティングハウス、シルバニアといった多くのICメーカーに生産を依頼して回った。しかし当時米国メーカーは利益率の高い軍との取引に力を入れており、量は莫大でも利益率の低いシャープの提案を受けようとはしなかった。あきらめて帰国しようとした佐々木に手を差し出したのはロックウェル社のアイストン社長である。ロックウェル社はシャープの提案を受け入れ、3百万のLSIを3000万ドルで供給する契約を結んだ。
 ロックウェル社は当時宇宙開発に力を入れており、こうした高度なデータ制御技術を電卓の設計に取り入れることでシャープは1969年世界で最初のLSI電卓QT-8Dを製造することに成功した。QT-8Dは大ヒットし、両社に莫大な利益をもたらした。
 この成功を目の当たりにした日本の電卓メーカーと米国のLSIメーカーはLSI電卓の重要性を認識し、お互いパートナーを模索し、LSI電卓の時代が到来した。

(参考)
CS10A トランジスタ  25kg 50万円
CS20A トランジスタ  16Kg 38万円
CS31A バイポーラIC 13kg 35万円
CS16A MOS・IC    4kg 23万円

5 ポケット電卓の誕生

(Cal Tec (テキサス・インスツルメント))
 電卓が普及する中で、各社はこれを胸ポケットに入る大きさまで小型化できないかとの模索した。特に熱心だったのはテキサス・インスツルメント社である。TI社の社長パトリック・ハガティは自社が得意とするICを一般商品の分野まで拡大したいと考え、当時開発研究所の所長で集積回路の発明者であったジャック・キルビーにポケットサイズの電卓の開発を依頼した。キルビーの指示を受け実際電卓の開発プロジェクトを指揮したのはジェーリー・メリマンである。メリマンは、1965年から研究を開始し、1年半後の1967年3月に世界で最初のハンディタイプの電卓カルテク (Cal Tec )を完成させる。
 カルテクはディスプレイがなく、入出力はサーマル・プリンタにより感熱紙に印字するタイプの電卓であった。1534個のICを搭載し、ニッケル・カドミウム電池を搭載、1回の充電で約4時間使用できた。縦13センチ、横10センチ、高さ4センチ、重量約640g。弁当箱くらいの大きさであった。
 しかし、カルテクは試作にとどまり、生産、販売されることはなかった。これは、この開発が、ICの応用性を顧客に示すことでICの民生分野の販売拡大を目指していたこと、また、ハガティはポケットタイプの電卓をめざしており、カルテクではまだ大きすぎると考えたためである。ハガティはさらに開発チームに対し、ポケット型の電卓を6ヶ月以内に開発するように指示した。しかし、TI社が実際にポケット電卓を発売したのはそれから6年後の1973年になってからのことである。

(ポケトロニック(Canon))
 カルテクに刺激を受けたのがキャノンである。
 キャノンはシャープに対抗するため、カルテクの設計図を買い取り、改良を加えポケトロニックという名前で1970年10月日本で、1971年2月米国で販売を開始し、大人気を博した。これが製品として市場に出回った最初の携帯型電卓である。ポケトロニックはカルテクと同様表示管を持たずサーマルプリンタを搭載していた。しかし、実際の設計では、キャノンはいくつかの変更を加えた。このうち最も大きな変更はLSIだった。カルテクはバイポーラ型ICを使っていたが、ポケトロニックではMOS型LSIを使っている。

(LE-120A(ビジコン))
 ポケトロニックは世界で最初に市場に出回った携帯型電卓であるが、実際ポケットに入れて持ち運ぶには大きくかつ重く、ポケット電卓とはいえなかった。
 世界で最初のポケット電卓は1971年に発売されたビジコン社のLE-120Aである。
 ビジコン社はインテル社との間でマイクロプロセッサ4004を共同開発したことで有名だが、これと平行してポケット電卓を開発するため、1970年から米国モステック社との間でワンチップ電卓用LSIの共同開発を進めた。モステック社は、テキサスインスツルメンツ社のMOSテクノロジー・ディビジョンからスピンアウトした14人の若者が作った会社で、当時イオン注入法という最新技術を採用し大きな成果をあげていた。開発に当たってはビジコン社は論理部分を担当し、同社の製品であるビジコン120をシュミレーターにして開発を行い、それをモステックがワンチップLSIにした。野心的な若者たちの必死の努力により開発は着手からわずか6ヶ月で完了した。このチップを搭載することで、ビジコン社は1971年には当時としては驚異的な小ささの手のひらサイズの電卓「ビジコンLE-120A」を発売する。これが世界最初のポケット電卓である。

(Executive(Sinclair))
 英国ではLE-120 が発売された翌年である1972年にシンクレア社がテキサス・インスツルメント社の開発したワンチップLSIを使いExecutiveという電卓を開発した。ExecutiveはLE-120Aよりさらに薄く、常時ポケットに入れて持ち歩く「手帳型電卓」の走りともいうべき電卓であった。

(901B (Bowmar))
 1971年秋に米国で初めて発売されたポケット電卓。Craig 社へも供給された。当時の価格は$240。

ワンチップのポケット電卓は日本、英国、米国でほぼ同じ時期に開発、製造されたが、スペックはかなり異なっていた。特に電源については901Bが従来の電卓と同じ充電式を採用したのに対し、LE-120Aは使い勝手を重視し、市販の単3乾電池(4本)を使用できるようにした。また、Executive は電卓の薄型化の観点からボタン電池(2個)を採用した。こうした面でも LE-120A と Executive は先進的なマシンであった。

6 ワンチップLSIによる電卓価格の低下

 ワンチップLSIの開発は、電卓製造過程において部品点数の大幅な削減を通し電卓の小型化、ポケット電卓の実現に大きな役割を果たした。
 さらに、ワンチップLSIは部品点数の大幅な減少により製造費用を大幅に削減することで電卓の価格の大幅な低下を実現した。また製造過程が単純化し、町中の小さな工場が電卓を作ることを可能にした。その結果、電卓の製造市場に多数の中小零細企業が参入し、生き残りをかけた激しい価格競争が展開されることになる。

(Omron 800 (オムロン))
 1971年オムロンもワンチップLSIを使い49,800円という当時の電卓の価格相場の半額程度でデスクトップ電卓Omron 800を売り出し大きな反響を得た(当時「オムロンショック」と呼ばれた)。その後、シャープや町工場の信和ディジタルからも次々4万円程度の電卓が発売されるようになる。

(Tallymate (Victor Comptomater))
 Tallymate はビジコン社のLE-120Aが発売された1971年頃信和ディジタルという会社により製造されVictor社にOEM供給されたワンチップLSI電卓である。
 1968年にテキサスインスツルメント社は日本にLSI 工場を作り1971年には多くの小さな電卓メーカーにこのチップを供給しはじめたが、Tallymateにはこのチップが使用されている。Tallymate の大きさはLE-120A より大きく、ポケット電卓とはいえなかったもののLE-120A と同様乾電池を使い、価格はLE-120A の半額だった。信和ディジタル社は電卓の価格低下により経営がいきづまり最後はリコーに買収されたといわれている。

(DigitalV (Royal))
 DigitalV は1972年初めに米国ロイヤルタイプライター社から発売された電卓である。当時、各社にとって電卓の製造コストをいかに引き下げるかが最大の課題だった。DigitalVは製造コストの高いボタンを取りはらい、電流の流れているペンを金属板に接触させることで入力する方式を採用した。また表示桁数も4桁とし、読み出し機能をつけることで8桁の計算ができるよう工夫した。こうした工夫の結果、DigitalVは当時初めて100ドルを下回る99ドルで販売することができた。しかし、その年の秋にはカシオミニが60ドルで販売され、市場から姿を消すことになる。DigitalV は当時の電卓の価格競争の熾烈さを物語る電卓でもある。

7 カシオミニの登場

(カシオミニ)
 こうした激しい価格競争が続く中、1972年8月にカシオは12,800円という当時の相場の3分の1の低価格でカシオ・ミニを発売した。カシオの強力な宣伝効果も加わり、カシオミニは爆発的なヒットとなった。販売台数は、発売後10か月で100万台、3年で600万台と爆発的な売り上げを記録した。かって会社に1台、職場に1台しかなかった電卓はカシオミニの登場により1人が1台を持つ時代に突入した。カシオミニは電卓の価格の大幅な低下を通じ、個人向けの新たな電卓市場を作り出した「大衆電卓」の先がけになった電卓である。
 カシオミニは、海外にも数多く輸出されたが、海外では縦型のタイプが好まれ、Unisonic社やSperry Remington社から縦型のものが発売されている。日本で横型のカシオミニがヒットした背景には日常ソロバンという計算用具が使用されていたという背景もあったと考えられる。

(EL-120(Sharp))
 カシオミニの出現はライバル企業にとって大きな脅威となった。
 当時業界のリーダーであったシャープも窮地に立たされた。同社はこの窮地から脱出するため2つの対抗策をとった。一つは価格面でカシオミニに負けない低価格の電卓を発売すること、二つは価格ではなく高付加価値の新しいタイプの電卓の開発である。
 EL-120は1973年に発売された表示桁数3桁の電卓である。表示桁数を抑えることで9,900円と、初めて10,000円の壁を下回ることに成功した電卓である。

(オムロン 60)
 数多くのポケット電卓を製造販売していたオムロンも、1973年にカシオミニに対応してオムロン60を発売する。
 オムロン 60は、表示桁数6桁、価格は12,800円とカシオミニを意識したスペックとなっている。

 価格の低下は新たな需要を作り出す一方、価格競争についていけない企業を輩出させた、電卓の低価格化により多くの企業が市場を奪われ倒産したり、電卓市場からの退出を余儀なくされた。

8 液晶電卓の登場

 シャープはカシオミニに対抗するため9900円の3桁電卓EL-120を発売するが、これと平行して高付加価値の新しいタイプの電卓の開発に取り組む。1973年、1年半の開発期間を経てシャープは"COS-LCD"タイプの新しい電卓 EL-805 を発売する。COSはCrystal-on-Substrate若しくはCalculator -on-Substrate の略で1枚のガラス基板上に、表示、回路、キー接点等全機能を一体化したものであり、当時非常に高度な総合技術が必要とした。
 EL-805は、世界で始めてCOS-LCD を活用することにより単3電池一本でなんと100時間も使用することを可能にした。価格は26800円とカシオミニに比べると高かったが、電池寿命を考慮するとこの価格差は消費者にとって納得できるものであった。実際EL-805は爆発的なヒットとなった。EL-805の開発の成功により、シャープは電卓業界のリーダーの地位を確保し続けることができた。またこうした液晶電卓を開発したという自負が今のシャープの液晶テレビのヒットにつながっているとも考えられる。

 液晶電卓は、電気の消費量が蛍光管電卓と比べ極めて少ないことから、携帯の多いポケット電卓を中心に導入が進み、蛍光管タイプの電卓は急速に市場から消えていった。

 このころになるとほとんどのメーカーが市場から退出し、電卓市場は寡占化が進んだ。1971年当時では、日本事務機械工業会加盟の電卓メーカーだけで約20社、アウトサイダーを含めると40社を越していたが、このうち20数社が、厳しい価格引下げ競争に耐えられず、倒産したり、撤退したりした。電卓市場のシェアの8割はカシオ、シャープが占め、他のメーカーは思い切った縮小の中で守りに徹せざるを得ない状況になった。こうした中で、シャープとカシオの技術競争、シェア争いは一層激化していった。

(Accumatic100 (Lloyd's))
 液晶電卓を最初に開発したのはシャープといわれているが、実際は1972年に米国Lloyd's社より液晶を搭載した電卓が発売されている。しかし、この電卓は表示管を単に液晶に切り替えただけで、バックライトを使うなど液晶の持つ低消費電力という利点が生かされていなかったことから程なく市場から姿を消した。そういった意味で液晶電卓の時代を切り開いたのはCOS-LCDを開発したシャープといってよいだろう。

9 電卓の薄型化競争

 液晶電卓EL-805の開発に成功したシャープは、液晶技術をもとに薄型電卓の開発に力を入れた。1975年に厚さ9ミリの手帳タイプ電卓EL-8010を発売した後、1975年には厚さ7ミリのフイルムキャリア電卓EL-8020を、1977年には厚さ5ミリのボタンレス電卓を次々に発売し電卓市場をリードした。当時のシャープのパンフレットには、電卓分野で絶対的優位に立った自信がよく出ている。

(名詞サイズ電卓 LC-78の登場)
 こうしたシャープの攻勢に対して、カシオは手帳型よりさらに小さい名刺サイズ電卓ミニカードLC-78を開発して対抗した。シャープの手帳型電卓はポケットに入れることはできるが、これをポケットに入れると他の物をポケットに入れることができなくなる。名刺サイズにすることでほとんどの人が電卓を携帯しているという感触を忘れることができる。カシオの開発スタッフは名刺の大きさ、液晶表示、メモリーつきで携帯に便利な軽さの電卓の開発にあたったが、薄さも当時最も薄かったシャープのボタンレス電卓EL-8130の5ミリを下回る3.9ミリを実現した。このミニカードは1978年の円高不況の真っ最中に売り出されたにもかかわらす、爆発的なブームを巻き起こし、注文が工場に殺到した。カシオミニがピーク時で月産20万台だったのに対し、LC-78は月産40万台に達した。

 こうしたヒットに対抗し、各社もいっせいに名刺サイズの電卓を発売するが、シャープも半年後、ボタンレスで名刺サイズの電卓EL-8140を出して対抗した。EL-8140は厚さ3.8ミリとLC-78と比べて、0.1ミリ薄く設定されるなどLC-78を非常に意識したものとなっており、また電源を切った場合でも情報を長時間記憶できるストレージ・コンピュータの機能がついていた。

(SL-800)
 その後、電卓の薄型化競争は両社の面子をかけた争いとして激しさを増した。1983年4月にカシオは厚さ0.8ミリのクレジットカードサイズの電卓SL-800を発売する。SL-800はあまりに薄いことから、持ち運びには折り曲がらないよう返って神経を使わなければならなかった。この電卓は、20年にわたる電卓の小型化、薄型化の流れの終着点ともいうべき電卓であり、現在MOMAの永久保存品として保管されている。

10 複合電卓

 電卓の技術的制約や価格面での制約がなくなる中で電卓メーカーは新たな市場開拓を余儀なくされた。とくにカシオは電卓の高付加価値化を図る観点から「カシオミニ」のヒット以降、複合電卓の開発にも力を入れた。その中の一つが1976年に発売した時計と電卓を組み合わせた複合電卓CQ-1(愛称「でんクロ」)である。でんクロは電卓機能とアラーム機能を合体させることにより学生やビジネスマンのみならず家事にも使われ、電卓の新しい需要を開拓した。またカシオは電卓の利用層を拡大する観点からゲーム電卓についても力を入れ様々なゲーム電卓を発売した。
 これに対し、シャープも複合電卓やゲーム電卓を発売するが、シャープはカシオと比べビジネス関連分野や液晶関連製品の開発に力を注いだ。

11 電卓の発達史

以上、電卓の発達過程をまとめたのがこの表である。
1962年から約20年の間に25kgの電卓が12gまで小さくなることができた。
価格も当時車と同じ程度だったのが今では100円ショップで購入することもできる。
こうした驚異的進歩において日本の企業が、日本人の能力が果たした役割が極めて大きいというのも、電卓の特徴である。

12 太陽電池式電卓(補足)

以上が電卓の発達史であるが、最後に2点ほど補足したい。

 まず1つは太陽電池式電卓である。
 これについては、情報が限られており、不明な点が多い。太陽電池自体電卓開発のために開発されたのではないという背景にあるのかもしれない。

 ここでは、私が今持っている情報をお示ししたい。

PHOTON V(TEAL社)
 まずTEAL社のPHOTON Vであるが、これは折りたたみ型のカード電卓の片面が全て太陽電池という電卓である。
 この電卓の説明書には世界で最初の太陽電池式電卓と書かれている。
 この電卓は別の資料では東和サン機電社の TOWA V-001という名前で、世界で最初の太陽電池式電卓とされていた。
 TEAL社と東和サン機電社の関係は不明で東和メックス(当時東和サン機電社)に問い合わせたが返事をいただけなかった。
 また、TEAL社からは、PHOTON という太陽電池式電卓も発売されているが、これとPHOTON Vの関係は不明である。

EL-8026 (Sharp)
 同じく世界で最初の太陽電池式電卓を謳っているものにシャープのEL-8026 がある。
 EL-8026 は1976年に発売されたものだが、PHOTONV の発売年が不明なためどちらが最初の太陽電池式電卓であるか不明である。両者を比較すると、液晶はEL-8026 が灰色タイプなのに対し、PHOTONVは黄色タイプである。またEL-8026 は充電池を搭載していたのに対しPHOTONVは搭載していないといった違いがある。
 ところでシャープはPHOTON Vと同じタイプの電卓EL-825 を発売している。これは太陽電池部分はPHOTON Vと同じで数字表示部分が灰色液晶(PHOTON Vは黄色)タイプとなっている。不思議なことにシャープの製品カタログにはこの機種についての記述がない。

1980(Adler)
 この他、別の資料では世界で最初の太陽電池式電卓は1976年にドイツのAdler 社より発売された1980 という電卓であるとの記述もある。

CX-1 (Sanyo)
 なお、アモルファスシリコン太陽電池を使用した電卓を最初に発売したのは、アモルファスシリコン太陽電池の実用化に世界で最初に成功した三洋電機である。同社はアモルファスシリコン太陽電池の実用化に成功した翌年の1980年に世界で最初のアモルファスシリコン太陽電池内臓の電卓CX-1 をアモルトンの名前をつけて発売している。

 いずれにせよ太陽電池の電卓への応用については不明な点が多い。

13 電卓のデザイン(補足)

 電卓開発に各社がしのぎ削り開発に取り組んだ結果、電卓に必要とされる技術は完成し、電卓はもはや大企業にとって魅力のある商品ではなくなった。日本のメーカーで電卓製品を作り続けているシャープ、カシオ、キャノンなども生産工程を中国など海外に移してしまい魅力的な製品をほとんど生産しなくなってしまった。
 今後とも電卓が人々に愛され続けるためには、電卓の多機能化、複合化と合わせ、電卓自体が人々の生活にマッチした美しいものになっていくことが必要である。そのため電卓のデザインが重要になってきている。
 最近では、LEXON社などヨーロッパを中心とした一部の企業では電卓をデザインの面から見直し、人々に愛される魅力的な電卓を生み出すようになってきており、こうした面での日本のメーカーの取り組みも期待したいところである。

 ここでは電卓の技術的発達を中心にまとめたが、私自身は電卓のデザインにも非常に興味を持っている。
 最後に優れたデザインの電卓をいくつか紹介してこの発表を終りたい。
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